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釜敷(かましき)とは亭主が客の前で炉や風炉に炭を組み入れる炭点前(すみでまえ)で用いる、火から釜を下ろしたときに、釜の下に敷くものです。茶道具 炭道具 灰器 信楽焼 炉用 半練 はんねら ハンネラ 西尾香舟作 信楽焼き 茶道。
釜置(かまおき)ともいいます。茶道具 茶箱道具 巾筒 青楽 川崎和楽作 茶道。
藤・籐・竹・竹皮・紙縒・糸組(紐)などを編んで作った「組釜敷」、奉書・檀紙・美濃紙など二十枚から四十八枚を一束として四つ折りにした「紙釜敷」、竹の節を輪切りにした「竹釜敷」、水屋用の桐の「板釜敷」などがあります。茶道具 置炉 置き炉 炉縁 IH専用置炉&炉縁 掻合2点セット 電熱器使用不可 茶道。
武野紹鴎が唐臼のヘダテを見て、籐(とう)で編んだ物が始まりといいます。茶道具 置炉 IH専用置炉 黒 掻合 専用炉縁付き 炉縁交換不可 電熱器使用不可 茶道。
籐を編んだ唐物、または唐物編みにした物が基本形ですが「紐組」や「円座」と呼ばれるちょうど「腰掛待合」に使用する円座を小さくした物のような物などもあります。茶道具 拝見盆 黒真塗 四方盆 小 茶道。
紙釜敷は、千利休が懐紙を用いたのが始まりで、真の位の釜敷とされ、席中には炭斗に入れず懐中して出ます。茶道具 香合 翁面箱 二重重ね 今岡三四郎作 茶道。のちに奉書・檀紙などや箔押など好まれるようになります。茶道具 水屋道具 収納家具 置水屋 組立式 茶道。
炭点前を略す場合は、これに香合を載せて床に荘っておく。懐石道具 会席道具 珍味入れ 赤楽焼き つぼつぼ 10客組 佐々木松楽作 懐石。
竹釜敷は、千宗旦が花入を切った残りの竹で作ったもので、大きな竹の節の部分を輪切りにしたものです。茶道具 薄板 花入用敷板 花台 糸巻花台 拭漆 側面朱塗り 淡々斎好写し 中村湖彩作 淡々斎好写 茶道。
板釜敷は、厚3分、5寸角板の四方を切り、中央に1寸の穴を空けた桐の板で、水屋用で、箱炭斗に組んで席中に持ち出します。茶道具 水指 水差し 耳付 南蛮〆切 すのこ写し 西尾香舟作 すのこ写 茶道。
千家十職とは茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。茶道具 夜咄道具 喚鐘と短 撞木付 八尾祥栄作 茶道。明治期に現在の十職に整理された。別注品 茶器 茶道具 収納家具 水屋道具 置水屋 柾 小 茶道。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある)
【奥村吉兵衛】
【奥村家】
佐々木氏の末裔を称し、近江国北部の「谷の庄」なるところの郷士であったとされる。茶道具 出帛紗 正絹 紹巴織り 花鳥紋 即中斎好み 出服紗 出袱紗 出ぶくさ だしぶくさ 茶道。
奥村三郎定道の代、姉川の戦いの後、主家浅井氏が滅亡して浪人となる。茶道具 薄板 花入用敷板 花台 丸香台 松ウルミ塗り そっ啄斎好写し 中村湖彩作 茶道。
定道の息子・奥村源六郎定次は長男・源子郎を前田利家に仕官させ、長男は後に「奥村摂津守定光」を名乗り加賀藩士となる。茶道具 炭道具 灰器 炉用 備前焼 近藤正彦作 備前焼き 茶道。
次男・吉右衛門清定は仕官せず、母方の家業を継いで商人となり京にて表具屋となる。茶道具 仕服 仕覆 茶箱用仕服 大阪蜀紅 茶道。
この清定が初代とされる。茶道具 出帛紗 正絹 紹巴織り 段瓔珞紋 出服紗 出袱紗 出ぶくさ だしぶくさ 茶道。
【初代 吉右衛門】1618年元和4年~1700年元禄13年9月
諱「清定」、出家後法名「宗勢」
1646年正保03年 上洛、武士から商人に転業
1654年承応03年 表具屋業を開業、屋号「近江屋吉兵衛」を名乗る。茶道具 出帛紗 正絹 梨地菊唐草 北村徳斎製 北村徳斉製 裂182 出服紗 出袱紗 出ぶくさ だしぶくさ 茶道。
妻は売茶翁の友人で能書家として知られた亀田窮楽の伯母
現在も奥村家の玄関にかかる「表具師」ののれんの揮毫はこの窮楽の筆による物とされる
【2代 吉兵衛】 1633年~1719年享保04年12月
号「休意」
初代の長男
1698年元禄11年 表千家 6代 覚々斎の取りなしにより紀州徳川家御用達、また表千家御用達となり、家運興隆の基礎を作る
その後数代に渡り男子が夭折し跡取りに恵まれず、代々婿養子を郷里の北近江より迎える事態となる
その中の1人、6代 吉兵衛は奥村家の功績をまとめるために調査を重ね、家系図はもちろん、歴代の表具作成の記録などを文書化する
吉九郎 2代 吉兵衛の長男
25歳にて早世
【3代 吉兵衛】1666年~1743年寛保03年03月
出家後法号「休誠」。【 未使用 】 ベンジャロン焼き ティーセット ポット 小カップ5個 ケース付 タイ雑貨。近江国浅井郡馬渡村の松山家の出身
2代 吉兵衛の婿養子
狂歌の作者、能書家として知られる
【4代 吉五郎】1737年~1781年天明元年11月
近江国伊香郡高月村の田辺家出身
3代 吉兵衛の婿養子
法名「道順」
【5代 吉兵衛】1755年~1825年文政08年08月
出家後法号「了誠」
近江国伊香郡高月村の松井家出身
3代 吉兵衛の婿養子
1788年天明08年 天明の大火に遭遇、家伝などの一切を消失
三千家合作の三幅対として有名な土佐光孚筆の絵のうち、表千家 了々斎(宝珠)、裏千家・認得斎(小槌)の2作の賛を得て、表装を行う
【6代 吉兵衛】1780年~1848年嘉永元年08月
号「休栄」
近江国伊香郡高月村の宮部家の出身、4代 吉五郎の婿養子
史料編纂に興味を持ち、天明の大火で失った家伝の再編纂を決意、「奥村家系図」、「千家御好表具并諸色寸法控」乾巻・坤巻を著し、茶道具の様式や、茶会のルールなど、貴重な資料を後世に伝える功績を残す
【7代 吉次郎】1795年~1837年天保08年09月
号「休音」
6代 吉兵衛の婿養子
義父に先立って死去
【8代 吉兵衛】1804年~1867年慶応03年07月
号「てい所」、「鶴心堂」
歴代の中でも最も名手といわれる一方、国学、儒学に通じ、尊皇攘夷派の学者や志士と深く交わりを持った人物である。煎茶道具 茶入 京焼き 赤絵 玉の絵 木弧 高野昭阿弥作 茶心壷 茶心壺 茶壷 茶壺 茶道。
しかし、皮肉にも明治維新後の文明開化により茶道が衰退、奥村家は大ダメージを受ける。茶道具 立礼棚 カウンター花門 花門ローテーブルタイプ&花門用扇面台&組立式椅子1台付セット 河瀬一敬作 茶道。
当人は学問の方に興味があり、後に彦根藩家老となった岡本黄石を師として儒学を学び、その紹介により梁川星巌、紅蘭夫妻と親交を結ぶ。茶道具 水指 まとめて 色々4点セット 陶峰造 泉窯など 送料無料。後に出家し「蒿庵」と号する
【9代 吉兵衛】1840年~1908年明治41年11月
名「義道」
8代 吉兵衛の長男
小川町上立売(現京都市上京区)から、現在奥村家のある釜座通夷川(現京都市中京区)へ転居
この困難な時代に名跡を継ぎ、奥村家の建て直しに成功、現在に至る。茶道具 出帛紗 正絹 井伊家伝来裂 柏唐草模様 出服紗 出袱紗 出ぶくさ だしぶくさ 茶道。
1882年明治15年 「三千家合作の三幅対」のうち未完であった「天秤計り」に武者小路千家・一指斎の賛を頂戴し、発起より60年後に完成させる。茶道具 薄板 花入用敷板 花台 杉角蛤板 蛤端 茶道。
【10代 吉次郎】1869年明治02年05月~1944年昭和19年09月
9代 吉兵衛の長男
【11代 吉兵衛】1901年明治34年~
10代 吉次郎の長男
12代 吉兵衛
11代 吉兵衛の子息